東雲語録

しがないケーキ屋勤めのヲタクの日々語り

昨日より明日、平成より令和

改めましておめでとうございます。

 

令和。新時代の幕開け。

 

…とは言っても、個人的には別段何も変わらない。

大抵の人がそんなものだと思う。渋谷に集まったり、改元の瞬間に婚姻届を出したり、元号越しそば(?)を食べたりした人達は多少なりともいつもと違う夜を過ごしているのだろうけれど。

 

平成という時代が始まってから10年経って私は生まれ、19年という月日を平成の中で過ごした。

平成以外の時代を私は知らない。だから、平成という時代が良かったのか悪かったのか、そんな事はわからない。

ただ、唯一戦争が無かったという事は「良い時代」と呼ぶには充分な理由になると思う。

 

私の始まった平成を好きでいたい。でも、いつまでも「平成は良かった」と言っていたい訳じゃない。

初めて迎える改元。どうせなら、前よりもっと良く、面白い時代にしたい。

 

今までは改元となると天皇崩御されたという事だから、マイナスのイメージだったのだろう。

でも今回はそうじゃない。そのお陰で、私達は前を向いて新時代を迎える事が出来る。

 

天皇陛下、感謝致します。そして、永い間、本当にお疲れ様でございました。

今日も私は生きている

今年の頭から、有名人の訃報が相次いでいる。 

大物俳優が逝去すると、嗚呼平成が終わるんだなあなんて気持ちになる。

若い人が亡くなる場合は殆ど事故や、病名の前に「急性」という言葉が付いたりする。つまり、つい昨日まで元気に笑っていた人が今日はもう居ないという事である。

 

藤くんがどこかで言っていた言葉。

「死は、その人からの最後のプレゼントだ」と。

 

本当にそうだと思う。

その人が死んだ時、自分が感じること。その感情そのものが、その人からのプレゼントなのだと。

 

私には、私の祖父が亡くなった時の、忘れ難い感情がある。

祖父に死装束を着せる時、当時中学生だった私は何も感じていなかった。初めて目の当たりにする遺体に、触っても不思議とその冷たさに動揺する事は無かった。ただ、一人で着替えの出来ない祖父を手伝ってあげようというぐらいの気持ちに似ていたのかもしれない。

そして出棺が終わり、骨を箱に収めて家へ戻る時。宗教上の決まりか何かで、骨を持つのは故人の孫・つまり私の役目だった。

皆でバスに乗り込む。私は膝に木箱を抱える。

焼きあがったばかりの骨は、箱の上からでも充分に温かい。

それがどうにも、体温のように感じられて。

私は祖父が亡くなってからその時初めて、泣いた。祖父はまだ生きているのだと強く思うのに、手元にあるのは虚しい骨だけだったから。

 

私は、祖父や大好きは人達の死から貰った傷によって生かされている。

死はいつだって理不尽で、辛くて、悲しい。

だけど誰かが何か感じて覚えていられれば、それだけのものじゃなくなる。その人はずっと生きていられる。

 

 

多忙

ここ最近、心に余裕が無いと感じる事が多々ある。

 

それは仕事中だったり、家の事だったり、財布の中だったり、それはもう色々とある。

というか、そう考えると毎日じゃないか?

 

その中でも今日は貴重な休みの日だったので、ネイルをしたり絵を描いたりして比較的余裕のある一日を過ごした。

 

でも、明日の仕事の事が頭から離れない。

今月からの新入社員の事、新商品の事、上司の事…

そして、こんな精神状態でやっているので休みの日に出かける気力が残っていない。7日間働いた身体と心を、一日でリセットしなければならないのだ。とてもじゃないが、外出している場合では無い。

 

私と同じ、高卒の子が入ってきた。何を教えようか?技術じゃない。技術なら、私の知る限りのものをいくらでも教えよう。

心の事。モチベーションの事。死なない程度に、続けて欲しいから。

実は自分自身、昨年の夏頃死ぬ手前までいった。未遂という言葉を使える程では無いが、まぁそういう事だ。叱られるけれど、気力もやる気も無いから同じ事をしてまた叱られる、のループ。当然である。当時好きだった人と別れた事も重なり、どうしたら家族に迷惑をかけずに死ぬことが出来るか、当時はそればかりを考えていた。

私の場合は、BUMPの話がしたいよに出会った事と、当時軽い鬱で休職していた先輩の復帰後に話を聞いてもらった事で今ここに居る。有難い。

全部、自分次第なのだ。

 

話が逸れたが、要は心も身体も健康に仕事したいよねって話だ。

 

働き方改革で、今月から休日が増える。

会社が動き出してくれている。

でも仕事内容や量は、今までとそんなに変わらない。

試練。

試練は好きだ。何も考えず淡々と仕事するよりずっと良い。

漸くここまで持ってこられた。周りの人達と、あの時「このままじゃ駄目だ」と立ち上がってくれた自分のお陰だ。

賑やかになった厨房で、もう少し頑張ってみようと思う。

 

今日はもう眠気と体力の限界なので寝る。明日は、私が刀剣乱舞のゲームを始めて2年の記念日だ。今現在所持済みの子達を全員描こうと思ったが、久々すぎて無理だった。そもそも30振近くを1枚の紙に収めようだなんて考えがおかしかったのだ。

ごめん皆、審神者もう寝るけど気にせず宴会してて良いからね。但し、私が起きる迄に片付けまで済ませること。ごめんね清光、あと宜しく〜。それとね。二年間ありがとう。これからもよろしくね。

 

 

要らんことまで語りすぎた。これも疲れのせいだって許されねぇかなぁ…

 

 

 

 

『広告会社、男子寮のおかずくん』

というドラマを毎週観ている。

観ようと思ったのは私の好きな2.5次元俳優が出ているから。しかし観てみると、内容もまた良い。

 

とにかく、ごはんが美味しそう。そしてイケメンが慣れた手つきでフライパンを振るう姿。眩い。2度美味しい。

ストーリーも、広告会社勤務の主人公達に共感出来るところが多い。私の職種とは全く違うけれど、社会人を一年やって、まだまだヒヨっ子ながらもその辺は分かるようになったということだろうか。

 

週末の楽しみは、録画したこのドラマを観て1週間の疲れを癒すこと。

 

元来私は、ごはん美味しい系ストーリーが大好きだ。このドラマ(原作は漫画らしい)然り、3月のライオン然り、だんだらごはん然り。

どの話も、全ての頁が平和で幸せ…というわけにはいかない。皆それぞれに問題を抱え、悩み、そんな中で日々の食卓に救われる。

 

美味しいごはんが、大抵の事はなんとかしてくれる。それは綺麗事じゃないと信じている。

 

そんな東雲の今日の晩御飯は、前記のドラマを観て母が作ってくれた肉じゃが。もう、我が家の味として定着する勢いである。隠し味に、すき焼きのタレ。これが、こってりつやつやな肉じゃがにしてくれる。美味。ごちそうさまでした。

 

一人暮らしを始めても作れるように、今度自分でもやってみよう。

 

 

 

 

 

ブログ始めてみました

とはいえ、数年前まで書いていた日記の代わりのような物なので別に誰に見せたいとかではない。

たまたま誰かの目にとまって、その誰かの暇潰しにでもなればそれはそれで嬉しい。

そんなゆるいテンションで更新していきます。

最初なんで自己紹介がてら、私の好きなモノについて紹介する。

①音楽

私が最初に好きになった音楽は、B′zだった。当時私は小5くらいだったろうか。親の影響というやつだ。B′zを聴くためにWALKMANを買ってもらった。初めてのLIVEも、B′zのEPIC NIGHT tourだった。

初めて自分で買ったCDは、米津玄師のYANKEE。アニメイトで買った。

その他、BUMP OF CHICKENRADWIMPSLAMP IN TERREN、あいみょんetc…… 基本的にはロックが好きだ。

②アニメ・漫画

もはやこれら無しに私は語れない。FAIRY TAILなんかは小学生の時から今でも観ている。最近ので言うとBANANA FISH約束のネバーランド進撃の巨人etc…… 3月のライオン血界戦線宝石の国は原作単行本も全巻持ってる。

刀剣乱舞

これは個人的に最近一番キているコンテンツ。ゲーム、映画、舞台、ミュージカル、アニメ等幅広く展開している。

何がこんなに『刀剣女子』を惹き付けるのかというと、刀剣一振一振が纏う物語とその美しさだと思う。その刀が辿ってきた歴史がそのまま彼らの人格になっている所が面白い。

この年末年始に各TV局がミュージカルを推しまくっていた事もあり、私は今強烈にミュージカルにハマっている。推しが歌って踊るのだ。正直無理である。無理と言いつつ顔が良い…と言いながら観続けるのがヲタクの生態だ。この間など、三百年の子守唄をDVDで観てボロ泣きした。そこに出てくる私の推し・大倶利伽羅は、「馴れ合うつもりは無い」が口癖の、闘いが好きな取っ付き難い刀なのだが、彼でさえ歌って踊るのだ。無理である。「ライブは戦だよ」と共演刀に説得され「ならば受けて立とう」とファンサをするのだ。もう大倶利伽羅では無い。チョロ倶利伽羅である。かわいい。

話がどこに着地していいのか分からなくなったので今日はここまでとする。

次からは私の仕事の事を語れたら良いなと思う。

それでは、明日もやっていきましょう