東雲語録

しがないケーキ屋勤めのヲタクの日々語り

今日も私は生きている

今年の頭から、有名人の訃報が相次いでいる。 

大物俳優が逝去すると、嗚呼平成が終わるんだなあなんて気持ちになる。

若い人が亡くなる場合は殆ど事故や、病名の前に「急性」という言葉が付いたりする。つまり、つい昨日まで元気に笑っていた人が今日はもう居ないという事である。

 

藤くんがどこかで言っていた言葉。

「死は、その人からの最後のプレゼントだ」と。

 

本当にそうだと思う。

その人が死んだ時、自分が感じること。その感情そのものが、その人からのプレゼントなのだと。

 

私には、私の祖父が亡くなった時の、忘れ難い感情がある。

祖父に死装束を着せる時、当時中学生だった私は何も感じていなかった。初めて目の当たりにする遺体に、触っても不思議とその冷たさに動揺する事は無かった。ただ、一人で着替えの出来ない祖父を手伝ってあげようというぐらいの気持ちに似ていたのかもしれない。

そして出棺が終わり、骨を箱に収めて家へ戻る時。宗教上の決まりか何かで、骨を持つのは故人の孫・つまり私の役目だった。

皆でバスに乗り込む。私は膝に木箱を抱える。

焼きあがったばかりの骨は、箱の上からでも充分に温かい。

それがどうにも、体温のように感じられて。

私は祖父が亡くなってからその時初めて、泣いた。祖父はまだ生きているのだと強く思うのに、手元にあるのは虚しい骨だけだったから。

 

私は、祖父や大好きは人達の死から貰った傷によって生かされている。

死はいつだって理不尽で、辛くて、悲しい。

だけど誰かが何か感じて覚えていられれば、それだけのものじゃなくなる。その人はずっと生きていられる。